ITER協定発効以前の活動について
1992年から2001年まで実施されたITER工学設計活動(EDA)の活動内容は、ここに示すとおりです。 まず、装置の設計ですが、 これは4極の混合メンバーからなる共同中央チームが実施しました。共同中央チームは世界の3カ所、 日本の那珂市、EU、ドイツのガルヒンク、 それに米国のサンディエゴに約50人ずつが長期に滞在して作業を進めました (1998年からはサンディエゴサイトは閉鎖され、 那珂市、ガルヒンクの2ヶ所となりました)。 また、 設計のみではなく、大型超伝導コイルの試作などの技術開発、われわれは工学R&Dと呼んでいますが、それも実施しました。 右上に示しますのは、 ダイバータ板という非常に高い熱流を受ける部分の耐熱性試験の様子です。右下に示します新型冷却構造をもつカーボン板に、 これも新しく開発した巾の広いイオンビームを当てて試験をしているところです。 従来より10倍も多くの熱くり返しに耐えることが示されています。この他にも、 ITERの国際協力の中で、要素のモデルを製作するなど、 技術開発を実施し、ITERの建設の技術的見通しを得ました。
また、EDA協定には含まれませんが、ITERの設計や物理R&Dという活動が精力的に進められました。これは、JT-60など既存の装置による実験結果をもとに、ITERに役立つプラズマ科学の研究開発を進めるもので、文部科学省の研究所や大学もボランタリーな貢献をしました。物理R&Dでは、世界のプラズマ研究の総合的な貢献によって、閉じ込め特性の予測の精度が著しく向上し、また、ダイバータについての研究も大きく進展し、ITERのダイバータ部分の設計に大きな貢献をしました。
さらに、技術的活動ではありませんが、将来の建設に備えて、建設活動の国際取り決めの検討も行いました。これは法律や事業運営の専門家を中心とした別のグループで検討を進めました。
設計や工学R&Dでは産業界の協力を得ており、物理R&Dでは当時の文部省の研究所や大学も貢献しました。このように、わが国全体としてITER計画を積極的に進めました。
ITER工学設計活動(EDA)について
日本は、量子科学技術研究開発機構(量研機構)を中核として参加し、この国際プロジェクトに貢献しています。
ITERの建設に必要な技術開発は、1992年から2001年のITER工学設計活動において、日本、欧州、米国、ロシアが分担して進めました。日本は、ITERの重要な構成要素である超伝導コイル、真空容器、ブランケット、ダイバータは実物大モデルまたは部分モデルを開発しました。また、真空容器の内部からブランケットやダイバータを遠隔操作によって取り外し、交換据え付けを行う事ができるロボットも開発しました。それらを以下に示します。これらの開発によって、ITERの建設が技術的に確実に行えることになりました。
2007年10月のITER協定の発効に伴い、量研機構は、日本の国内機関として指名されました。量研機構は、ITER協定で決められた日本が製作を分担する機器の製作とITER機構への人的貢献への窓口の役割を果たします。
ITER移行措置活動(ITA)について
2003年1月に参加極政府の合意で開始した活動であり、ITER機構の設立までに、運営体制の準備、サイト国のフランス政府当局への許認可申請の準備、技術事項のITER機構への引き継ぎなどを行いました。 本活動は、各参加極の代表者で構成されるITER機構設立準備委員会(現在、暫定ITER理事会準備会合)のもとで、2006年からはITER機構長候補を中心として実施され、2007年10月に終了しました。